社会的弱者の住まいをサポートする

東です。

 
先日、知多半島地域心の健康づくり連絡協議会さん主催の「病院や施設の生活から 地域の暮らしへ」という題の講演を聞いてきまして、とても感銘を受けたのでレポートを書こうと思います。
自分は精神科医志望で、見えない障害、誤解と孤立を招きがちな病を抱えながらぎりぎりのところで生きている当事者さんやその家族に対して、ソーシャルワーク的な医療、生活支援ができればいいなあ、とぼんやり考えているのですが、今回の話を聞いて、生活支援の主戦場は「住まい」であるとの確信が深まりました。
 
住まいの権利を実装する不動産屋:阪井ひとみさん
今回の演者は阪井ひとみさん。もともと岡山県で不動産屋(!)を営んでいる方なのですが、20年ほど前より、ホームレス状態にある人や精神障害者身体障害者、DVから逃げてきた母子、児童相談所を卒業して行くあてのない少年少女などにお手頃価格でまともな住まいを貸し出しています。ご存知のように、現在、精神福祉や障害者福祉の世界では今「脱施設化、地域移行」が進められています。これは方針としては目指すべきことですが、「地域の受け皿がない」としばしば言われます。ーーないなら自分で作ってやる、という気概があるのが阪井さんです。その業績が讃えられて、地域精神保険機構から精神障害者自立支援活動賞(リリー賞)を受賞したり、国土交通省厚生労働省から居住支援について有識者として意見を求められたりしています。
 
https://www.chiikihoken.net/pdf/network/net_sakaih.pdf インタビュー記事
 
阪井さんの活動の原点は、自分が仲介したアパートで統合失調症を患っている入居者さんが白アリやネズミに食い荒らされてボロボロになった部屋をあてがわれていたことから始まります。部屋の修繕は大家の責任であるのになんたる怠慢かと腹が立ったと仰っていました。その入居者さんの居住や通院のお手伝いをしているうちに、長期の精神科病院入院の問題や地域に戻った後の暮らしの困難などと言った社会的不遇を知るようになり、本格的に社会的弱者のための不動産業を始められました。
 
一般的な大家さんは「障害者」に家を貸すことを嫌がります。75%の大家さんは障害者のいる世帯の入居に対して「拒否感がある」と回答しています。また、2010年には大手不動産会社が賃貸借契約書に「入居者や同居人、関係者に精神障害者がいて、他の入居者や関係者に財産的、精神的迷惑をかけた時には契約を解除する」という条項を設けていたという事案があり、大阪府が改善を指導しました。
 
 
障害者差別解消法が施行されたいま、障害を理由にした入居拒否や退去は法的に認められていません。また、宅建業者を含む民間事業者には、合理的配慮の努力義務が課せられています。
 
言い訳に付き合う
では例えば妄想の出ている入居者さんにどんな風に対処すればいいのでしょうか。病院に連れて行くことも大事ですが、阪井さんは「言い訳に付き合う」と言います。
 
例えば、夜中に家に透明人間や悪霊がやってきて悪さをするとある入居者のMさんが訴えました。阪井さんは現場に駆けつけ、片付けなどしつつ、「じゃあ、悪霊を相手にバーをして金を取ろう」と提案しました。(Mさんは昔バーのママをやっていました)。
 
二人で、看板を出して、家の中を電飾で飾り、家を綺麗に掃除しました。Mさんは、料理を作り、風呂に入り、ドレスをどこからか手に入れました。阪井さん「必ず一万円取りなさいよ、逃しちゃダメだよ!」と発破をかけて帰りました。後から様子を聞いたら、ウキウキと待っていたらなぜか悪霊が来なくなってしまったそうです。悪霊は待ち構えたら来なくなる、らしい。客はきませんが、Mさんは自分で調理したものを食べ、風呂に入ることができるようになり、家はきれいになりました。結局、3ヶ月ほど開いていても客が来ないので閉店したそうです。ーー妄想を異物として取り除こうとするのではなく、生活の中に一つのパーツ、歯車として組み込んでいる、興味深い事例だと思います。まあ、ここまでのファインプレーはなかなかできるものではないかもしれませんが、「言い訳に付き合う」という指針は思い出してみると役にたつかもしれません。
 
阪井さんは、Mさんの事例からもわかるように、「住」がうまく回ると他のこともうまく回るようになる、と言います。阪井さんが所有しているサクラソウには50人の社会的・居住弱者が住んでいて、阪井さんは「最近どうだい?部屋散らかしてない?」と気楽に部屋を見に行きます。これを聞いて、自分は大家という立場をうまく使ってるなあととても感心しました。大家って「ちょっとしたお節介」が自然とできる立場ですよね。支援者がやるとどうしても仰々しくなってしまいますが、大家だとスッと入っていけるんですね。 
 
足を運ぶ、ニーズを掘り起こす
阪井さんは精神障害者身体障害者以外の相談にも乗るようになりました。
 
ある母子はDVから逃げてきて、婦人相談所に駆け込んだのですが、12歳以上の男の子を連れているとシェルターには入れない、児童養護施設に分離にすれば入れる、と言われたそうです。結局、分離することになりましたが、子どもは高校に行かなかったため施設から出て、行先もないので暴走族になり、少年院に入ることになりました。阪井さんは自暴自棄になっているこの少年と少年院で初めて出会い、この経緯を聞き、民間シェルターの必要性を痛感しました。彼に大人への信用を取り戻してもらうためにも、2000円/日、お米と服は無料提供、生活用品を揃えたシェルターの運営を始めました。
 
また、ある時には、炊き出しに出かけました。その日は雨降りで、食事をもらった方達は濡れながら食べていました。ただそそくさと食べ、会話もなしに、去って行きます。阪井さんは、雨の中で食べなきゃいけないなんて理不尽だ、困っていることを聞かないで食べたら終わりなんて勿体無い、と思ったそうです。そこで、大学生の下宿として使われていたが今は入居者がいない、大家さんが高齢で持て余していたアパートを借り上げ、116部屋あるうちの2部屋を炊き出し場・食堂に転用しました(こういう少子化→大学生の減少でできた元下宿の空き家は全国にあるようです)。
 
それ以前に、ホームレスの方と、
「おっちゃん、いくらならアパートに住む?」
「うーん、缶拾いやんなやで月5万は稼いでいるけども…」
「日1000円で暮らせる?」
「食費がそれくらい」
「なら、家賃1万なら借りる?」
「そんな物件あるなら借りるよ」
というやりとりがあったそうで、残りの部屋を1万円で貸し出すことにしました*1しかも、各部屋にエアコン、テレビ、布団を標準装備で。すごい。
 
家を持つと住所が書けるということが決定的に大事だ、と阪井さんは言います。我々は当たり前に住所を持っていて意識していませんが、住所を書かなければいけない場面は意外と多いですね。住所不定ではなかなか仕事が見つかりません。家があり住所があるだけで、宅配物の分配や旅館の運転手、コンビニの店員などになれたりすることがままあります。「住」が整うと他のことも整ってくる、の例ですね。
 
さらに、阪井さんは、自分だけで動くのではなく、ネットワークを作ることにも注力されています。医療・福祉・行政と連携して住まいをサポートするおかやま入居支援センターというNPOを走らせて、より複雑な相談内容に対処できるように尽力されています。ネットワークを作っておけば、一人や二人断られても、誰かは助けてくれる、人に話しまくればなんとかなる、拾う神はある、と言っていたのが印象的でした。
 
感想
以上、お話を聞いて、自分なりに思ったことは、
① 医療者は、病院の外にもアンテナを張って、阪井さんのように熱心に活動されている支援者とどんどんつながり、自分をパーツとして使っていただくような関係性を持つことが必要であろうということ、
② 地域の最小単位は「住まい」であり、「住まい」を結び目にして、当事者と支援者、支援者と支援者がもっとつながれるのではないだろうかということです。
実際に、日本で新しい居住支援、ハウジングファーストを広めようとしている東京プロジェクトなどでは初期から、医師(『この島のひとたちは、話を聞かない』『漂流老人ホームレス社会』の森川すいめいさん西岡誠さん)、看護師、ソーシャルワーカー、法律家、高校教師、といった人たちが、「住まいの権利を保障せよ!」というシングルイシューで繋がっています。ーー自分にできることは未だぼんやりとした予感に留まりますが、色々考えていきたいところです。
 
参考資料

*1:1万円でも家賃を取ることは実は結構大事だと思います。ホームレスの方の中には「生活保護を受けたくない、お上の世話にはなりたくない」という方がいます。僕なんかは強がらんでいいのになあとつい思っちゃいますが、阪井さんは「そいつぁ武士だな!」と思ったそうです。自分のお金で住む場所を得られることは人間の尊厳の一つかもしれません。話が飛びますが、この点は、カウンセリングや障害者福祉で重要なポイントで、我々が医療業界で「患者さん」と呼ばれる人を、カウンセラーは「クライアント」、福祉関係者は「利用者」と呼んだりします。金銭的な契約関係をもとに受益と決定の主体となる人を明示しているわけです。自分の日常を振り返っていただければわかりますが、人間関係は自然に任せていると何かを「してもらった」側が「してあげた」側より下の立場に置かれ、被支援者は無力さに直面することを要求され、実際に無力化します。この自然な流れに逆らうため、患者中心の医療というスローガンを出したり、クライアント・利用者という呼び変えが行われたりします。阪井さんはおそらくこの文脈を踏まえて、家賃をしっかりもらうことで、善意の押しつけがましさを拭い去っているのだと思います。推測ですが恐らくそういった理由で、自分のことを支援者と呼ばず、「不動産屋」「ハコモノ屋」と称しているんだろうと思います(実際不動産屋さんですが)。